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フェアリーテールの結末は

プライス家の人々, 第1巻

女性らしい見事な曲線美の持ち主ヒラリー・ローゼンバーグ。
彼女は「愛」という不確かなものを信じていない。求めるのは社会的信用のある誠実な男性なのであって、身を焦がすようなロマンスも変わらぬ愛も最初から期待してはいなかった。
ある日マーク・プライスがやって来て、彼女に頼みごとをした。ひと月だけでいいから恋人のフリをしてほしい、と言うのだ。

大富豪のプレイボーイ、マークは女性に対して本気になることができない。どんなに長くてもせいぜい三カ月でその恋人関係が終わってしまうのだが、彼はそんな自分に満足し、独身貴族を謳歌していた。
ところが今、そろそろ身を固めるべきだと考えた彼の母親から、プライス家に相応しい花嫁候補を押しつけられようとしている。

 冗談じゃない。このままでは母の思惑通りになってしまう。

そこで彼は一計を案じ、偽りの恋人を用意して母を諦めさせようと思いついた。その役目にはヒラリーが打ってつけだ。自分の意思をしっかり持ってブレない彼女なら、母からの圧力に屈することもないだろう。幸いにも、彼女には貸しがある。そのことを持ち出せば責任感の強い彼女のことだから、おそらく「ノー」とは言わないはずだ。
だが、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど当初の見込みから大きく逸れ、いつしか……

 
前作『忘れえぬ面影シリーズ』の続編のような形で始まる本編には、すでにお馴染みとなった人々も登場します。
ぜひお楽しみください。

※この物語は『メリーの秘密』より四カ月ほどさかのぼったころのお話です。
 

第一章試し読み

六月のある日——、
大都市ロサンゼルスのせわしない一日が終わろうとしている。
高層ビルの立ち並ぶオフィス街を、マーク・プライスは『オメガ・ウェルス・マネージメント』目指して歩いていた。ひと月後に迫ったピンチをどうやって切り抜けるか頭を悩ませていたところ、究極の方法をやっと思いついたのだ。
オメガというのはギャビン・ロイドが経営する投資顧問会社なのだが、今日はギャビン本人に用があるわけではない。親友とはいつでも会える。それよりも当面の問題を解決するほうが先だ。
時刻は五時を回っているが、責任感の強い彼女のことだ、どうせまだ残って仕事をしているに違いない。そう確信しながらも、半ば祈るような気持ちで足は自然と速くなる。
巨大なビルの最上階でエレベーターを降りると、目的の女性、ヒラリー・ローゼンバーグが目の前をちょうど通り過ぎようとしていた。マークは内心ホッと胸を撫で下ろす。
「あらマーク、社長にご用?」
アップルシナモンの香りに包まれたヒラリーを前にして、マークの身体の一部が硬くなる。ボリュームのある胸もと、肩から腰にかけた柔らかな曲線、それでいてウェストはキュッと引き締まり、カプチーノカラーのタイトスカートからはすらりとした長い脚が伸びている。多くの男たちが女性を見るとき、これ以上ないというほどの理想的な体型の持ち主だ。
自分のオフィスへ向かう彼女と並んで歩きながらマークは切り出した。
「いや、きみと話がしたくて」
しかし、ヒラリーは少し困ったような顔をした。
「ごめんなさい。前もって連絡くれたらよかったのに。今日は友だちと落ち合うことになってるからもう行かないと」
言いながら部屋に入り、分厚い書類をデスクの引き出しにしまい、代わりにハンドバッグを取り出して手に持った。その淡々とした様子を目で追ううち、マークは出端(ではな)を挫かれたと悟った。これまで、女性はいつも彼の都合に合わせてくれたし、こちらからの誘いをあっさり断ってくる相手もいなかった。それでも彼は気を取り直し、
「時間は取らせない。なんならエレベーターの中で話そうよ」
と言って腕を差し出したのだが、その手を彼女は見向きもしなかった。
他の女性とはどうも違うな。ま、いいさ。腕を組むのがダメなら次の策をとればいい。
マークは慣れた手つきで彼女の肘を支え、エレベーターへと導いた。

* * *

この人、どういうつもりかしら。
ヒラリーの胸には大きな疑問符が浮かんでいた。今までマークと顔を合わせる機会は何度もあったが、言葉を交わすとしても二言三言で、しかも大抵は社長のギャビンが一緒だった。
背が高くハンサムなマークは、誰もが思わず振り返りたくなるほど目立つ存在だ。ブルーの瞳は、どんな嘘やごまかしも途端に見破ってしまいそうな深い知性を感じさせる。そして、あの頭脳。父親から与えられた莫大な信託財産をレストランなどへ賢く投資し、短期間で四倍に増やしたと聞く。よほどの思慮深さがなければ、あそこまで成功する人間はなかなかいまい。確かに聡明な男性ではある。
エレベーターを待つ間、足首の辺りに視線を感じ、温かい感覚がゆっくり這い上がってくるような気がした。それをかろうじて抑えつけ、平静を装う。
「それで……、お話というのは」
彼女はエレベーターのドアに目線を置いたまま、静かに尋ねた。
「来月の独立記念日なんだけどさ、家族のパーティに一緒に来てくれる女性を探してるんだ」
どうしてわざわざ私にそんなこと言うの?
「ガールフレンドと行けばいいでしょう」
「二ヶ月前に別れた」
「まあ残念」
とはいえ、名うてのプレイボーイともっぱらの評判だから、今さら驚くには当たらなかった。
「そうなんだ。だからきみに頼もうと思って」
「わ、わたし!?」
ヒラリーは驚きに目を見開いて、マークを正面から見た。「からかわないで」
「からかってなんかいないさ」
彼の視線は泳いでいないばかりか、口調も真剣そのものだ。
「どういうことかしら。七月四日までまだひと月もあるんだから、あなたならすぐに誰か新しい恋人ができると思うけど」
「〝誰か〟じゃダメなんだ。母の策略に対抗できる女性じゃなきゃ」
「策略って?」
マークの母親のケインリスが、子供たちにはそれなりの相手と結婚してほしいと望んでいるというのは周知の事実だが、策略とは穏やかでない。
「さも結婚を許すフリしてガールフレンドを油断させるか、それとは逆であからさまに引き離そうとするかのどっちかだろうな。あの人はいつもそうなんだ」
マークは肩をすくめた。「僕にはどうしようもない」
「大変そうね」
「相手にとってみれば、引き離されまいと躍起になって、必要以上にくっついてこようとする。そうなるとこっちが面倒くさくなって、結局別れる羽目になってしまうんだ。その点、きみなら母の当てつけや嫌がらせも難なくかわせそうだからさ」
リン。
エレベーターが到着し、二人は中に乗り込んだ。他に誰もいないにもかかわらず、エレベーター内がいつもより狭く感じられるのはなぜだろう。隣に立つ、背が高く逞しい男性のせいだとは認めたくないヒラリーだが、なんとなく守られているような気分になるのは否定できなかった。彼から漂う清潔な石鹸の香りを嗅ぐだけで、妙にやすらぎを覚える。しかし、だからといって同意できるものではない。
「私じゃお役に立てないわ」
ヒラリーはできるだけ事務的に言った。「お付き合いしてる人がいるもの」
「医者をやってるっていう気障(きざ)な奴?」
「ウォルト・ゴールドスタインというれっきとした名前があるの。専門は小児外科」
思いのほか冷たい口調になってしまった。
穏やかで落ち着きのあるウォルトは、ヒラリーにとって理想の相手だ。ようやく巡り会えた人なのに、彼のことを茶化されたり見下されたりするのは不愉快である。
「子供の命を救うのがお仕事だなんて、素晴らしいことよ」
「そりゃ大したもんだ。だけどあいつはなんにもわかっちゃいない。デートをドタキャンするなんて、最低な人間のすることだってこととかね。しかも一度や二度じゃないだろ?」
ヒラリーたちはよくマークの経営するレストラン「ラ・メール」で食事をするのだが、予約だけしては当日キャンセルしてしまうということが何度もあった。急患が運ばれてきた場合、ウォルトが対応せざるを得ないのだ。
「ごめんなさい」
謝りながらも、ヒラリーの口調はどうしても硬くなる。
「きみのせいじゃないよ。ともかくさ、独立記念日をきみが誰と一緒に過ごそうが、あいつはたいして気にしないと思う。どうせ緊急のオペが入るに決まってるし」
「意地悪いわないで」
 眉をひそめるヒラリーに、
「あいつなら十分あり得るだろ」
マークは平然と言ってのけた。「だいたいきみとの約束をすっぽかしてばかりだなんてまともじゃないよ。きみのこと、本当に愛しているのかな」
「あら、うちの社長だって似たようなことがたびたびあったじゃない。忙しすぎて奥さんとの約束が守れなかったことって」
ヒラリーは、社長でもあり直属の上司でもあるギャビン・ロイドを引き合いに出した。「だけど社長はアマンディーンをとても愛してる。親友のあなたなら、よく知ってるはずよ」
マークはフッと微笑んだ。
「だったらさ、きみの彼は埋め合わせに何をくれた? プライベート・ジェット? それともヨット?」
「特になにも。お仕事なんですもの、しかたないわ」
「仕事といえば、きみはこの僕に借りがあるよね」
ヒラリーはびっくりして相手の目を凝視した。
「借り? 私が? なんのことかしら」
「ほら、大切なクライアントとの昼食会を『モリガン』で開く予定にしてたことがあっただろ。ところがレストラン側の落ち度で予約が取れてなかった。困ったきみたちを見るに見かねて、土壇場でうちのVIPルームを提供したじゃないか。まさか、忘れたわけじゃないだろうね」
そう言ってマークがぐっと身体を近づけてきたので、ヒラリーの心臓がドクンと一度跳ねた。彼の発散する熱が伝わってきそうなほど距離が近い。離れなければいけないと思うのに、どういうわけか動けなかった。
「あれできみの社長室長としての面子(めんつ)が保たれたわけだ。今度は僕を助けてくれてもいいんじゃないかな」
ニヤリ、と笑うその顔が、なぜだかまったく憎めない。
「あなたのこと、そんな目で見たことないんだけど」
「それは構わない。フリだけでいいんだから」
「助けてあげたいのはやまやまだけど、うまくいかないと思う。そんな嘘、すぐにばれるから。誰もあなたが私と付き合ってるなんて信じないわよ」
ヒラリーは階数表示をそっと盗み見た。まだ五階だ。「私なんか、あなたの好みから外れてるもの」
「何をばかな」
「そうかしら」
ヒラリーはエレベーターのドアに視線を逸らしたが、そこに映し出された彼の瞳は、こちらをまっすぐ見据えていた。
本当はもっときっぱり断りたかった。不愉快な結末が頭をよぎったからだ。しかし、よほど困って声をかけたに違いない。彼に助けてもらった恩義もあるし、借りをそのままにしておくのは流儀に反してもいる。
逃げ場を失ったような気がして、ヒラリーはうつむきがちに尋ねた。
「もしも引き受けたら、あのときの借りは帳消しにしてもらえるの?」
「もちろん」
短い沈黙のあと、意を決して顔を上げる。
「わかりました。独立記念日を乗り切るだけでいいんだったら、引き受けるわ」
マークが再び笑顔を見せた途端、胸の奥がざわつくような、奇妙な感覚がヒラリーを襲った。
エレベーターがようやく一階に到着し、二人は並んでホールへ出た。ロビーを横切る間、誰かに見られているような気がして、ヒラリーはさっと辺りを見回してみる。が、そこにいるのはフロアーを足早に歩く仕事帰りの人々と、隅(すみ)に控える警備員たちだけで、特にいつもと変わった様子はなかった。気のせいだったのだろうか。しかし、ここ数日何度か感じた誰かの突き刺さるような視線は、決して思い過ごしなどではない。と思った矢先、
「ちょっと!」
後ろのほうから甲高い声が聞こえてきたので振り返ると、二十代とおぼしき女性が柱の陰からゆっくり姿を現した。声に似合わず、金髪で愛くるしい顔をしたその女性は、ヒラリーの前まで来ていきなりわめき散らした。
「あたしの婚約者にちょっかい出さないでよ、この泥棒ネコ!」
突然のことに狼狽したのはおくびにも出さず、ヒラリーは冷静な口調で尋ねた。
「何のお話でしょう?」
「しらばっくれてもムダですからね。緊急のオペでデートをすっぽかされちゃうたびに、なんか怪しいって思ってた。はっきりさせたくてこのまえ病院に電話したら、ウォルトはもう帰ったって言うじゃない。やっぱりねって確信したわよ」
ヒラリーの頭の中は一瞬真っ白になった。
「ウ、ウォルトがあなたの婚約者だって言いたいの?」
たちの悪い冗談だ。どこか遠くの出来事としか思えない。
「そうよ。頭にきて彼の携帯をこっそり調べたら、あんたとのやりとりがばっちり残ってた。あたしの睨んだとおりよ。言い逃れはできないんだから。そもそもなんであんたなの。高い給料もらってんのか知らないけど、秘書なんてどうせお茶くみくらいしか能がないんでしょ。そんな女を彼みたいなエリートが本気で好きになるとでも思ってんの? あんまりいい気になんないほうがいいわよ」
〝能がない〟。停止しかけていた思考が、そのひと言で覚醒した。
「あなたのおっしゃることが事実なら、私だって被害者なんですよ。彼に婚約者がいただなんて、今のいままで知らなかったんですもの」
「この、大うそつき! ちょっと顔がきれいだからって、あんたみたいにムチムチの女、ぜんっぜん彼の好みじゃないんですからね。どうせ汚い手を使ってあの人を引っかけたんでしょ」
相手が掴みかかろうと身を乗り出してきたので、ヒラリーは慌てて後ろに退いた。こんなところで大立ち回りをやらかして、せっかくのキャリアをフイにするわけにはいかない。過去の自分とは永遠に決別したのだ。ここはぐっと我慢しなければ。
と、マークに手首を掴まれて、女が悲鳴を上げた。
「ねえきみ、少し落ち着こうよ」
「放して!」
逃れようと身をよじっているのだが、がっちり捕まれて身動きが取れない様子だ。「関係ない人は引っ込んでてよ」
「関係なくはないかな。だいたいさ、今きみが殴りかかろうとしている女性が、きみの婚約者を横取りしようとするなんてあり得ないんだよね」
「そんなことどうしてわかるのよ」
「どうしてかって? 僕たち付き合ってるからさ」
若い女はもがくのをやめて、マークを唖然と見つめた。
「はあ? なんですって」
「あれ、聞こえなかった? 僕たち付き合ってるんだ」
マークはそう言って、注意深く女の手を放した。「考えてもみなよ。僕という相手がいるのに、どうしてわざわざ他人の婚約者に手を出すようなマネをする?」
女が改めてマークを観察し始めた。高級そうなものだけを身につけた彼は、どこからどう見てもセレブにしか見えない。プラス、その整った顔立ち。ウォルトもまあまあイケているが、マークには遠く及ばない。女もそう感じたのか、
「だ、騙されないわよ。メールの内容がなによりの証拠だわ……」
しかし、声にはだんだん勢いがなくなってくる。「あたしに隠れて、裏でコソコソ……」
「あのさ、こんなところで騒ぎを起こされちゃ迷惑なんだよ。早く消えたほうがいい、つまみ出される前に」
「つまみ出すって、そんなことできるはずないわ!」
「できるさ。この建物は私有財産だ。そこにきみは不法侵入している。追い出されても文句は言えないんだよ」
マークは彼女にとびきりの笑顔を向けると、さきほどから様子を窺っていた警備員に目で合図した。
女はその様子を見てうそぶいた。
「あたしにあと一度でも触ってごらんなさい。それがあんたであろうとあのおっさんたちであろうと、訴えてやるから」
ヒラリーはぐっと奥歯を噛みしめた。マークに嘘までつかせた上、彼をトラブルに巻き込んでしまい、申し訳なさでいたたまれなくなる。
意を決して前に踏み出しかけたとき、マークの力強い腕が彼女を身体ごと引き寄せた。
「どうぞお好きなように。きみの名前と連絡先を教えてくれたら、あとでうちの弁護士から電話させる。きっと双方が納得する解決策を見つけてくれるだろう」
「あーら、そんな大口たたいていいのかしら。こっちには専門家が揃ってるんだけど。あたし、こう見えても法律事務所勤務なのよね」
「それなら話が早い。ローゼンバウム=マクラッケン=ワグナー・アソシエイツは知ってるだろ。彼らのうちの誰かから連絡させるよ」
米国内の名だたる法律事務所の名を耳にして、女は一瞬で青ざめると、淡いピンクのサンドレスをさっと翻して出口へ向かった。警備員の一人がその後ろをぴったりついていく。
女が外に出たのを確認してからマークはヒラリーに向き直り、彼女の後れ毛を軽く耳にかけた。
「大丈夫?」
予期せぬ振る舞いに口も利けず、ヒラリーはただ頷いて彼の腕から逃れた。震える指で髪を梳かしつけ、今起こったことを頭の中で整理してみる。
ウォルトに婚約者がいた。
ああ、まただ。本当に男を見る目がない。相手の言うことを簡単に信じては騙される。どうしてこうも身内の欠点ばかり受け継いでしまったのだろう。もういい加減学習すればいいのに、気がつくとまた繰り返している。しかも今回はいつもより酷い。母親とまさに同じ過ちを犯してしまったのだから。今度こそ注意深く選んだつもりだったのに、あろうことか他の女性との結婚が決まっている人とデートを重ねてきたなんて。
「顔色が悪いよ。座って少し休んだら?」
マークがロビーのソファを示しながら言った。
「ありがとう。でも平気」
私が男に騙された事実は、どうせ明日には全社に広まっているだろう。ここはあくまで些細な問題であるフリをしなければいけない。うろたえる姿を見られでもして、せっかく積み上げてきたキャリアを棒に振るのだけは嫌だ。
「騒ぎになってしまってごめん」
「ううん、謝らないで。私のせいなんだから。あなたがいなかったらとんだ醜態をさらしてしまうところだった」
「ところで家族パーティの件だけど……」
「ごめんなさい。やっぱり私には無理。他を当たってちょうだい」
そう言うなり、ヒラリーは急いでその場をあとにした。

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