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プロポーズは誰のため?

名画をこの手に, 第8巻

俺は生まれてから一度も金に困ったことがない。ガキの頃こそおやじの脛を齧っていたが、大人になってからは自分の力で稼ぎ、今では使い道に困るほど金が有り余っている。

だが、その金をもってしても、フェイス・モーティマーだけは手に入れることができなかった。もう少し待ってくれていたらプロポーズするつもりでいたのに、彼女はあっさりと俺を裏切って他の男と一緒になった。

あれから二年。

オフィスに押しかけてきたフェイスがいきなりプロポーズしてきた。表向きは俺のため、俺が自分の肖像画を手に入れるための方便だと言っているし、当然ながら目的は金だろうが、その意図がわからない。

人間関係は信頼がすべて。一度でも裏切られたら、そいつのことは見限って二度と信用しない。接触もしない。それが俺の信条だ。だから無論すぐに追い返したのだが、資産家の未亡人になったばかりの彼女になぜ金が必要なのか、そこが気になって仕方ない。

彼女が実は金に困っていると知った俺は、十万ドルというはした金を提示して、逆にこっちからプロポーズしてやった。しかし、ほんの仕返しのつもりが、気づけばのめり込んでいた。まさか己の策略に自ら嵌るとは思いもよらなかった。どうにかして手を打たないと、このままでは着地点が見つけられなくなってしまう。

 

 

 

※この物語は一話完結です。

第一章試し読み

俺は『デジタル・エンジェル・キャピタル』の明るい廊下を、自分のオフィスに向かって歩いていた。この会社は数年前に従兄のデインと立ち上げたベンチャー・キャピタル、いわば投資会社だ。起業して間もないベンチャー企業やスタート・アップ企業のうち、有望な企業を見定め、率先して投資する。その際対価として取得した株式を温存しつつ、企業価値を高めるために様々な経営支援を行う。そして晴れて上場が実現すれば、株式を売却して利益を得る。場合によっては、より多くのリターンを狙って合併や買収に乗り出すこともある。

こういった業界では鑑識眼や先見の明が不可欠で、俺たちはあらゆる方面にアンテナを張り巡らせ、世の中の様々な変化に即座に対応しているというわけだ。

国内にいくつか設けた拠点のうち、俺はワシントンDCやシカゴ及びそれら大都市周辺を統括するため、主にボストンで地盤を固めてきた。だが、最近ではLAに構えたオフィスに居座っていることのほうが多い。重要案件を抱えているときや緊急時はやむを得ないにせよ、本音を言えば東海岸にはあまり近寄りたくないからだ。

なぜかって? それはおやじと〝ナンバー6〟のせいだ。数か月前に六度目の結婚式を挙げたおやじは、若妻のためバージニアに家を買った。夫婦共々いけ好かないやつらで、家族の中をとんでもない形で引っ掻き回してくれている。おまけにあの〝ナンバー6〟、ついこの前まで高校生だったくせに、大の男を捕まえて〝お母さんごっこ〟をしたがるからたまらない。あんな連中の傍(そば)に誰が近づきたいもんか。

部屋に入っていくと、アシスタントのセシリア・パーキンスがさっと立ち上がった。くすんだ金髪とグレーの瞳を持つ彼女はまだ四十そこそこで、美人な上に仕事もでき、俺にとってなくてはならない部下だ。

薄いピンクのブラウスと膝まである紺のスカートという組み合わせは、社会人として大変相応しく好感が持てる。カジュアルな恰好で仕事にくる女は好きになれないし、そういう女に、俺の要求する業務は到底務まらないだろう。

「おはようございます」

マグカップにコーヒーを注ぎ入れたセシリアが、それを俺に差し出してくれた。

「おはよう」

渡されたコーヒーをひと口啜ってみると、熱々で苦味が強く、まさに俺好みの味だった。深煎りのブラック・コーヒーがないと一日が始まらないといっても過言じゃないくらい、俺にとっては必要なものだ。

「おう、今日も旨いな」

「ありがとうございます」

そう言ってかすかに微笑んだセシリアは、俺のあとについてオフィスに入ってきた。

最上階の窓の下に広がるLAの街並みは、人と車で相変わらずゴチャゴチャしている。どんな都会にもそれぞれ独特の魅力があるというヤツもいるが、俺にとっちゃどこも似たり寄ったり。人間のひしめくこのコンクリート・ジャングルに、たまたま大きなビジネス・チャンスが転がっていたからオフィスを構えた、それだけの話だ。

デスクに着いた俺の前に紙が一枚差し出され、そこには今週の予定がびっしり書き込まれていた。もちろんカレンダー・アプリにも同じ内容が入っているのだが、変更があればセシリアのほうで書き足したり削除したりした上で印をつけ、最新の予定を教えてくれる。そして俺は予定表を見ながらアプリに変更を加え、手違いや漏れのないようにする。こういう形ですり合わせをしつつスケジュール管理するのがいつものやり方だ。

紙に目を通していると、今朝の予定に追加項目が入っているのに気がついた。九時半から十分間、来客があることになっている。

「ん? これは何だ?」

「九時半にお越しになるお客様の件ですね。実はサミュエルソンからどうしても、とお願いされまして、週末の間にスケジュール調整をさせていただきました」

サミュエルソンはニューヨークにあるヘッジ・ファンド会社の人間で、数年前から付き合いがある。まあまあ頭の切れるヤツで、フットワークも軽く、面倒見もいい。起業したいと考えている誰かに橋渡しを頼まれて、断り切れなかったものだろう。まあ、今後特別に便宜を図ってもらうような状況が起きないとも限らないし、ここで恩を売っておくのも悪くないかもしれない。

「ふうん、わかった」

起業家の自己PRに対して最初に興味を惹かれるかどうか、業界じゃそこが一番重要だ。何の売り込みか知らないが、十分で俺の食指を動かすことができなかったら諦めてもらうしかあるまい。

細かい指示をニ、三出してからセシリアを退出させ、俺はゆったりした気分でコーヒーを楽しみながら、まずはメールのチェックから始めた。その間にも、頭では全く別のことを考えている。

俺たちの祖父は、かつて世界的に有名な画家だった。その祖父が遺した五枚の肖像画を、何の冗談かおやじが全部ひとり占めして、渡してほしけりゃ兄弟全員、半年以内に結婚しろ、その結婚生活を最低一年は続けろ、と抜かしやがった。

絵一枚の資産価値は五千万ドルを下らないとされているが、誰も金が欲しいわけじゃない。俺たち一人ひとりにとってかけがえのない絵だからこそ、おやじの出した条件に従って、それぞれ一年間だけの伴侶を見つけることになったのだ。

ところが、異母弟の一人であるルーカスだけはそれに異を唱え、荷が重い、絵のために結婚なんかできない、などと消極的で、全く行動を起こそうとしなかった。

みんなは困っていたが、俺にとってはむしろ好都合。いわゆる契約結婚というものに密かに抵抗を覚えつつも、長男たるもの、〝いち抜けた〟じゃ済まされなかった。その状況でルーカスが反対してくれて、内心ホッと胸を撫で下ろしたものだ。

なのにルーカスのやつ、急に手のひら返しやがって、一人の女にのぼせ上がっちまっている。これで万一ゴールインでもすれば、今度はこっちにプレッシャーがかかってくるじゃないか。あと三か月もないのに、その間に嫁さんを探せ? んなこと無理に決まってる。突如目の前に理想の女性が現れる、などという戯言(ざれごと)は信じちゃいない。そんな都合のいい話、現実に起きるわけがないだろう? あぐらをかいていた俺が、なんでいきなり逃げ道を塞がれなきゃならないんだよ。

知ったことか。要は一年間だけ結婚生活を続けさえすりゃいいんだろう? 相手は誰でもいいじゃないか。現に、俳優をしているライダーは自分のアシスタントを妻に迎えたし、もう一人の異母弟であるエリオットは宣言通りストリッパーと結婚した。だからおまえも辛抱しろ。少々意にそぐわないくらいなんだ。

しかし、ライダーの場合もエリオットの場合も参考にはならない。アシスタントのセシリアは優秀すぎて、こんな茶番に付き合わせるのは申し訳ないし非現実的だ。かといって安易にストリッパーに走るわけにもいかない。俺がストリッパーなんかを嫁に選んだら、プライスの家名に傷がつく。従兄弟たちのことは好きだから、彼らに恥をかかせたくない。特に親友でもある長男のデインには迷惑をかけたくないと思っている。

それに何より、弟たちは二人とも、きっかけはどうあれ今ではそれぞれの相手を愛しているようだ。そこへ持ってきて、俺だけ正真正銘の偽装結婚か? 勘弁してほしいもんだ。

『九時半のアポイントのお客様がお見えになりました』

インターフォンからセシリアの声が聞こえて数秒後、ドアを開けて入ってきたのは細身のブルネットだった。シルクの服に身を包み、首元にはダイヤモンドがきらりと光っている。

マジかよ!?

目が釘付けになった。夢を、いや、正確にいえば悪夢を見ているようだった。

フェイス・モーティマー。俺の元カノ。ラスベガスのレストランでウェイトレスをしていた彼女に惹かれ、付き合ったが捨てられた。彼女は他の男を選び、二年経った今は裕福な未亡人。当時と状況が変わったのでなければ、確か大学へは行っていない。だが、金持ちの妻になるのに大学教育は不要だ。美しい顔と引き締まったセクシーなカラダさえあれば、大抵の男はふらふらっとなるものだ。

俺を捨てた女がなぜここにいる?

記憶にある通り、フェイスは今も匂い立つような美貌の持ち主だ。高い頬骨、まっすぐな鼻筋、誘いかけるような唇。紫のラップ・ドレスが形のいいおっぱいと女性らしいヒップ・ラインを浮き彫りにし、スティレットのヒールがみごとな脚線美を強調している。そしてあの目。ビター・チョコのような濃い色の瞳は表情豊かで、長い睫毛がその周りを縁取っている。だが、見かけに騙されてはいけない。触れなば落ちんという風情でありながら、男には決して見抜けない企みを隠している。あの瞳の奥で、常に打算を働かせているのだ。

わかっているのに、視線を交わす時間が長くなればなるほど、その並外れた吸引力にボーっとなりかけてくる。まるで、クモの糸に絡め取られていくように、身動きできないとは情けない。

いや、これは怒りだ。身体が強張るのも肌がチクチクするのも、興奮しているからでは断じてない。

「出てってくれ」

俺は理性をかき集めて言い放った。「さもないとつまみ出すぞ」

しかし、フェイスは姿勢をまっすぐにして、デスクの前の椅子に腰かけた。

「おあいにくさま。私には十分の権利が与えられてるの」

「サミュエルソンにどうやって取り入ったのか知らないが、売り込みに来たとはとても信じられないね。そもそもこの二年間、きみは男に媚びる以外に何かしたのか」

頬を少し赤らめたものの、彼女は引き下がらなかった。

「この二年間、私が何をして何をしなかったかなんてあなたに関係ない。せっかくオトクな〝売り込み〟をしようとしてるのに、それを聞きもしないで決めつけないほうがいいわよ」

オトクな売り込み? 本気で起業しようとしてるのか? だとしてもおかしくないか? そもそも俺に恨まれているのを承知しているはずだろう? 何を売り込むにしろ、その協力を俺に求めるのは筋違いだろうが。

確かに魅力的な女ではある。忘れようとしても忘れられなかった唯一の女だ。いったん切り離した相手は徹底的に排除するこの俺が、彼女とのことだけは頭から消し去れなかった。

「私たち、結婚しましょう」

フェイスは揺るぎない視線できっぱりと言い切った。

はあ? 気でも狂ったか。

「断る。プロポーズというものは普通、男からするもんだろ。逆プロポーズされる趣味はない。それ以前に、きみみたいな女と結婚したいとは思わないし、こっちは充分間に合ってる」

「もちろんそうでしょうけど、契約結婚となるとどうかしら。このタイミングで一年間の結婚生活に同意してくれる人が都合よく現れるとも思えないんだけど」

彼女はいかにも疑わしげに眉をひそめた。「おじい様の遺されたという絵を相続するために、兄弟全員が結婚しないといけないんじゃないの? しかも、その期限が迫ってきてるとか」

くそっ。〝ナンバー4〟がタブロイドに何もかもぶちまけたせいで、こんなところにも弊害が出ている。最近まで〝ナンバー4〟の夫だったスタントン、あいつが妻に離婚届を叩きつけなかったら、俺がこの手で鉄槌を下していただろう。パラシュートなしで飛行機から突き落とすとか、サメのウヨウヨいる海に船から突き落とすとか、スカッとする方法ならいくらでも思いつく。

「ネットの情報を鵜呑みにするのか? ありもしないUFOを追っかけてる連中と同じだな」

「確かにあなたがた全員があの記事を否定してる。でも、ほんとにデマかしら。一人だけならまだしも、こう次々と結婚したりお相手が噂されたりしてるんじゃ、信じるなというほうが無理な話。しかも、記事によると、結婚さえすれば数百万ドルもの価値ある絵が転がり込んでくるっていうじゃない」

価値を語るなら一桁違うのだが、そこはいま重要じゃないだろう。「そのチャンスをむざむざ棒に振らなくても、私と結婚すればあなた自身の義務が果たせるわよ。もちろんそれなりのものはいただくけど」

「百歩譲ってきみの読みが正しいと仮定する。で、俺も嫁さんを探してるとするよな。だがその場合、当然きみより若い美人を見つけるさ。おおっと、自分勝手で簡単に裏切る女性は不可っていう条件も忘れずにつけないとな」

「私より若いって……、私、まだ二十四よ?」

「おやじの六番目の嫁さんは二十歳(はたち)そこそこだ。それに比べりゃ二十四なんかもう……」

フェイスの顔が怒りに染まった。

「あなたっていつもそう。浅はかで短絡的で、物事の表面しか見ない人」

浅はか? 短絡的? 俺が? その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ。

「フェイス、きみは自分を過大評価してるらしいが、それは大いなる勘違いというものだ。俺みたいに金のある男にはな、望みを叶えてくれる女なら掃いて捨てるほどいるんだよ」

背もたれに寄りかかりながら、俺は余裕のあるフリをした。「だいたい、金に目が眩んで男を見捨てておきながら、その高飛車な態度は何だよ。普通はもっと下手(したて)に出るもんだろうが」

「下手に出る? どんなふうに?」

「床に這いつくばって許しを請うとかさ」

フェイスの目がギロリと光った。

「フェラチオしろって言ってるの?」

本当は土下座しろと言ったつもりだったが、それも悪くないかもしれない。なにしろ彼女はフェラが上手く、あの口でしゃぶられると我を忘れてしまう。彼女との痴態の数々を思い出しただけで、全身の血が沸き立ってくる。

いや、的外れなことを考えるな。こうなるのはここんとこ女とご無沙汰しているからであって、特別な理由なんかない。

「まあ、それなら考えてやってもいいかな」

「あなたって最低な人ね」

「最低で結構。他にどんな〝おもてなし〟を期待してたんだ?」

俺は椅子を後ろにずらして、デスクとの間に隙間を作った。「ほら、やってみろよ」

顔を強張らせながらも身を乗り出す彼女に一瞬期待したが、どうやら本人にそんなつもりはないらしい。すっくと立ち上がると、軽蔑しきった目を向けてきた。

「卑劣な要求をされることぐらい予想すべきだった。ベガスでもそうだったようにね」

ベガスでも、だと? 激しい怒りが込み上げてきた。あの頃は卑劣な要求なんかしたことがない。粗末に扱うどころか、きみを崇拝し、目いっぱい甘やかしたじゃないか。その俺に向かって、なんて口の利きようだ。あとひと月待ってくれていたらプロポーズするつもりでいたのに、待ちきれずに他の男を選んだのはきみのほうだろ。

こっちがブチ切れる寸前にフェイスは立ち去り、俺は深呼吸を何度か繰り返して気を静めた。

彼女の目的が何であったにしろ、その試みは失敗に終わった。それでいいじゃないか。

俺は意地の悪い満足感に浸りながら、目の前の仕事に専念することにした。

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